皆様こんにちわ。池袋店の金子です。
11月14日(火)及び15日(水)の2日間に於いて、我が株式会社イチイ全社員参加による研修旅行に行ってまいりました。
行き先は会津芦ノ牧温泉です。その間観光名所を観光しながらの旅となりました。ここ数年間は希望者のみ参加型の旅行でしたが、 今年は全員参加型の旅行となりました。
色々な観光名所を観光し土地の名物等も食べましたが、私個人的な楽しみは2日目のある観光名所に行く事でした。 それはいったい何処でしょう?
ずっとこのブログをご覧戴いている方ならもうお分かりのはず(?)。私は年齢に似合わない(?)城マニアなのです。
答えは・・・
会津若松城(別名鶴ヶ城)!!
(会津若松城天守閣)
この城は歴史的に見て、各年代に於いて重要な役割を担ってきた為有名なお城です。東北地方にキラ星の如く城は存在していますが、 3本の指に入る名城ではないでしょうか。
城主として君臨したのは実力者揃いの大名ばかり。まずは会津地方の騒乱を最初に統一した葦名氏。その葦名氏と東北地方南部の覇権を争い勝利し、 独眼竜の異名をとった伊達政宗、 続いては伊達政宗を追い落とし領地を奪った豊臣秀吉子飼いの実力者蒲生氏郷、 次いでは上杉謙信を家祖とする上杉景勝、 やはり豊臣秀吉子飼いの実力者加藤嘉明、 徳川幕府成ってからは2台将軍秀忠の息子保科(松平)正之。 これだけの大大名が納める重要な拠点だったのです。
次に歴史の表舞台に登場するのが、皆様もご存知の明治維新前夜の戊辰戦争に於いて壮絶に散っていった白虎隊が守ろうとした城が、この会津若松城です。
又幕末の京都で粛清の暗殺剣を振るった集団新撰組の統括責任者だった、 京都守護職の地位にいた松平容保が最後の城主でした。
大変残念だったのが、会津若松城に着く直前より激しい大雨が降り、ゆっくりと見たり写真を撮ったりすることが出来なかったことです。 今度又行く機会があったら、ゆっくりと細部まで観光したいと思います。天守閣は戊辰戦争の際大砲の砲弾等で破壊され、 昭和に入って外観復元された鉄筋コンクリート造りですが、本丸や二の丸、各出丸の城郭が良く保存され残っていますので、 会津地方へ行かれることが有りましたら是非ご覧ください。